大変な元日

明けましておめでとうございます。

という気分が吹っ飛んでしまったのは午後4時過ぎでした。

上越でははじめに「ん、地震」と気がつき、テレビをつけたら能登が震源とのこと。「また能登の地震か、現地の人は大変だ」などと考えていたら、緊急地震速報が鳴り響き、すぐに初期微動を感じました。そして次の瞬間、かなり激しい揺れがはじまりました。揺れの間にも波があり、だんだん強くなるような感じや、これでおさまるかと思うとまだまだ激しい揺れがつづくという状況で、ずいぶん長い時間揺れていたように感じました。揺れている最中には、あちこちで物の倒れる音がしたり、強くなるに従って身の回りの物が落ち始めたりと、実に落ち着かない、というか怖い思いでした。

おさまってから家の中や周囲を見回ると、大工道具などのキャビネットやコピー機が、キャスターがついているせいか大きく移動していたり、台所のシステムキッチンの引き出しが全部開いていたり、本やCDが棚から落ちて散乱していたりと、結構めちゃくちゃになっています。

これは大変な事態とテレビやネットを見ると、上越では震度5強。これは13年前の長野県北部地震での5弱を超える揺れです。ここ数十年経験したことのない揺れかもしれません。

テレビでは、能登や加賀の状況が次々に映し出されていましたが、現地のみなさんは今夜はまんじりともしない夜を過ごすことになりそうです。心からお見舞い申し上げます。

揺れがおさまった後、とりあえず防災服に着替え、議会事務局に無事を伝えた後、近所を見回りに行き、被害状況を確認しました。近所では、石灯籠が倒れる被害を確認しましたが、幸い大きな被害はないようです。

そこで、全市の状況の確認を含めて市役所に向かいましたが、飯踏切では写真のように電車が立ち往生していました。車掌さんに聞くと、安全確認ができるまでは動けないとのことで、地震の際に停まった位置でそのまま待機しているようです。乗客も10人ほど乗車している様子でしたので、一刻も早く最寄りの駅で下車できることを祈って後にしました。

市役所では、市内の被害状況を把握している最中でしたが、情報が錯綜したり不十分だったりで、職員さんはみんな殺気立っている様子でした。その時点では幸い人的被害の情報はなかったのですが、その後、やはり何人かの被害があったようです。なによりも茶屋ヶ原の土砂崩れは甚大な被害です。国道8号線が全く通れない状況になってしまい、迂回路もないところとあって、上越市は二分されてしまっています。そこで不思議なのは、平行する北陸道も通行止めになってしまっていることです。大きな地震ですから、すぐに止めるのはわかりますが、一般道がこのような状況になってしまったときには、せめて高速道路は極端な速度規制をしてでも通すべきではないでしょうか。一昨年暮れの柏崎でのクルマの立ち往生を招いた通行止めを思い出しました。

その後、各避難所をまわりました。

城西中学校には、南新町のみなさんが約300人ほど避難されていました。13年前も感動したのですが、みなさんがすべてきちんと避難され、体育館にきれいに整列されています。避難者の把握を行う受付も整備され、まだ避難されていない人が誰なのか、どんな状況なのかもきちんと把握されているようでした。日頃の訓練の賜物と思います。

一方で、ある避難所では、その施設の管理者との連絡が行き届かないことなどから、暖房がされていませんでした。新しいストーブがいくつもあるのに、灯油が施設から出されていないとことです。そこで、すぐに施設管理者に要請して灯油を出してもらうよう願いし、避難されているみなさんのそばにストーブを設置するお手伝いをしてきました。

実際にこうした災害に遭遇すると、今後に生かすべき教訓はでてくるものだと感じた次第です。